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2015.11.27 第6回たなぐら歴活を開催しました!

 11月27日(金)、第6回のたなぐら歴活を開催し、20名が参加しました。今回のテーマは「棚倉町の中世城郭」です。

 前半は、呼びかけ人の山川千博(茨城大学人文学部研究員)が、「赤館城から棚倉城へ」と題し、中世後期に高野郡(おおむね現在の東白川郡)の支配の中心拠点であった赤館城について、白川氏支配の時代からの歴史を追いました。赤館城は、戦国時代末の佐竹氏の時代に、伊達政宗との抗争を繰り返しながら縄張(なわばり=お城の構造)を拡大しました。最終的には豊臣政権下で、高野郡内の城郭で唯一の軍事・政治拠点として維持されたことが、江戸時代になり棚倉城が赤館城のすぐ南麓に築城され、棚倉藩が成立した歴史的な前提となっていたのです。

 後半は、前半の発表を受けて町内や周辺のお城トークで盛り上がりました。参加者からは、呼びかけ人も知らない町内の中世城郭遺跡の場所を教えていただいたり、中世のお城にまつわるエピソードなどもお聞かせいただきました。

 なお、この週末には、赤館城と同じ町内の中世の中世城郭である「寺山館」について、町生涯学習課主催の歴史講座(講師:飯村均先生、森木悠介先生)が催され、130名の方々が参加されました。同日午後の遺跡説明会「寺山館ウォーキング」にも90名の方々が参加し、中世の山城に、戦国大名佐竹氏の旗を持ちながら大人数で登る姿は、まさに圧巻でした。あらためて、町民の方々の中世城郭への関心の高さがうかがえ、直前の第6回歴活とあわせて、この週は棚倉町全体で、充実した「中世城郭ウィーク」となりました!

 

2015.7.3 第5回たなぐら歴活を開催しました!

 7月3日(金)、第5回のたなぐら歴活を開催しました。今回のテーマは「風景から見る棚倉」。明治~昭和にかけて町内を写した古写真から、それぞれの時代と町の記憶をたどりました。

 前半は、新しく呼びかけ人に加わった須貝慎吾(東北芸術工科大学4年生)が、「古写真に見る棚倉の風景」と題し、主に町所蔵の古写真の中からピックアップして発表しました。かつて時の鐘の辺りにあった警察署の屋上から撮影された町中心部の様子や、戦前の軍事演習や競輪大会といった棚倉城の本丸跡地で行われたイベントなどなど・・・。次々と映し出される写真について当時をお話しくださる方もいて、大変貴重なことを教えていただきました。

 後半は、前半の発表を受けた歴史トークで盛り上がりました。何人かからは、お持ちの古写真を持参いただき、改めて昔と今とではだいぶ町の風景が変わっていったんだなぁと感じることができました。

 普段当たり前のように感じる日常の風景の裏で、実は昔にこんなことがあったのかと新発見の連続で、お越しの方々からも、懐かしんだり驚きの声があがったりと賑やかなひと時でした。

 

2015.5.22 第4回たなぐら歴活を開催しました!

2015.4.18 第3回たなぐら歴活を開催しました!

 5月22日(金)、第4回目のたなぐら歴活を開催しました。今回のテーマは「人物から見る棚倉」ということで、棚倉出身、またはゆかりのある歴史上の人物について語り合いました。

 前半は、呼びかけ人の栗原が「阿部正功(あべまさこと)の足跡を訪ねて~日本考古学創成期に携わったお殿様~」と題し、発表しました。ある時は棚倉藩最後のお殿様、ある時は漢学のみならず英語や洋学にまで精通した知識人、そしてある時は日本における考古学の誕生に関わった学界の1人としての姿を皆さんに感じていただけたと思います。町内ではいち早く崖ノ上遺跡(弥生時代の「棚倉式土器」が出土)の発掘調査を行ったことで有名で、現在の遺跡調査報告書に匹敵するほどの詳細な情報を残していますが、一方で東京人類学会などに関わり各地で精力的に調査に携わっていたのです。

 また、後半のフリートークでは、古今問わず様々な人物が棚倉と関わりがあることを実感しました。個人的にたなぐら検定のガイドブック制作に関わった身としては、調べる中であんな人もこんな人も、自分の知っている人にはへぇーとなり、知らない人にはそんな人がこの時代にいたのかぁとしみじみ感じることが多かったです。それだけ、歴史のある町なんです。

2015.3.16 第2回たなぐら歴活を開催しました!

 4月18日(土)、たなぐら歴活の第3回目を開催しました。今回は、歴活初のフィールドワークということで、町生涯学習課のイベント「昔の絵図を持って歩こう~お殿様のご子孫と~」に参加、江戸時代に描かれた城下町の面影を探して町中を歩きました。当日は丹羽家現当主の丹羽長聰さん、丹羽長秀・長重親子やその家臣を描いた小説『うつろ屋軍師』の著者 簑輪諒さんもお越しくださいました。

 いざ歩いてみると、特に大通りのクランクのように、絵図に描かれた道や通りが今も変わらずに利用されていることが分かります。また、本丸の北側の住宅地には、かつて二ノ丸と三ノ丸(林曲輪)とを隔てていた土塁が残っており、参加してくださった方々は「へーっ、これがそうなの!?」と驚いていました。さらに、本丸東側の公園周辺の地形を注意深く観察すると、東西方向に緩やかにアップダウンが見て取れます。これも二ノ丸外堀と土塁があった痕跡です。

 このように、江戸時代の絵図に描かれた城下町を実際に歩けることが、棚倉町の魅力なんです。町中に今も残る当時の痕跡を探して、皆さんも歩いてみませんか?

2015.2.6 第1回たなぐら歴活を開催しました!

 3月16日(月)、たなぐら歴活の第2回目を開催しました。今回は初回に参加していただいた方々だけでなく、新聞記事や広報などを見てくださり新しくお越しくださった方もたくさんいらっしゃいました。

 メニューの前半は、「旅日記からみる棚倉」①と題し、呼びかけ人の山川が発表しました。『陸奥能編笠(むつのあみがさ)』という、長岡藩(新潟県)から他国の様子を探ってくるよう密命を受けた藩士2人が記した記録で、小笠原家藩主時代の棚倉にもやって来ています。読んでみると、「人通りが少ない」「城には石垣がなくて、堀幅もせまい」「まるで小藩のようだ」と散々なこき下ろしようですが、実際に2人は城や城下町を時間をかけて隅から隅まで見聞したわけではなく、一晩を過ごした宿の主人らから色々と聞き出した結果、現実とはかなり異なった様子として記録されることになってしまったようです。スパイも楽ではないですネ。

 後半は、自由に歴史トークということで、棚倉の方言や名産といったことを話の肴に盛り上がりました。今は町として1つの行政単位となっていますが、場所によってはなし言葉は結構バラバラなようです。また、金山にまつわる話も興味深いものがありました。歴史史料としてはほとんど見たことがないので、今後研究の余地がありそうです。

 2月6日(金)に、記念すべき「たなぐら歴活」の第1回目を開催しました。当日は、町内外から約20人の方々にお越しいただきました。

 まず、呼びかけ人である私たち3人の自己紹介とイベント企画の経緯をお話しした後、ひとりひとり自己紹介をしていただきました。かなり歴史通でいらっしゃる方もいれば、町の歴史のことについてあまり知らなかったことを参加のきっかけとして挙げてくださる方も何人かいらっしゃいました。歴活を通じて、棚倉の新たな一面を発見していただければいいなと思います。

 今回のテーマは「棚倉の昔と今」ということで、栗原が戦前に町を通っていた鉄道「白棚線(はくほうせん)」について、山川が江戸時代の城下町の道や町割りについて、それぞれ昔と今の地図を比較しながら発表しました。その都度、「昔、駅の周りは…」「あの場所には昔~があって…」「「町」の読み方で区別があるの!?」など、昔の姿を教えてくださる声や、新しい発見に感動する声が挙がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。

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